JR大久保駅から歩いて20分ほどのところに「鎧神社」がある。
初詣のときには行列ができて賑わうという。
ここが東京のなかでも有数のパワースポットだという。
どんだけスゴイのか?
西新宿在住のミリオネア夫婦が行ってみた。
実は、妻のほうがかなり霊感が強くて、パワーがあるとすぐに感じるという。
果たして「鎧神社」にはどれだけのパワーがあるというのか?
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■駅からかなり離れるがのんびりと歩ける距離
所在地は「東京都新宿区北新宿3-16-18」
JR大久保駅からの行き方を説明しよう。
タクシーに乗るほどの距離ではない。
JR大久保駅の北口(三鷹方面の出口)を出ると、目の前に大久保通りがある。
この大久保通りを、東中野方面へ歩く。
(駅を出てすぐ左手に進む)
すると、大久保通りと小滝橋通りがぶつかる「北新宿1丁目」交差点がある。
この交差点を、高田馬場方面(右手)へ曲がる。
茶咖匠(チャカショウ)という緑の看板がある歩道を行けばOK
小滝橋通りを高田馬場方面へ歩くと中央線が通る陸橋がある。
その下をくぐってさらに、小滝橋通りを歩く。
すると、中央卸売市場「淀橋市場」の大きな壁が見えてくる。
「淀橋市場」の手前を左に曲がり、長い坂道を下る。
この坂道を下りきったところの左手に線路の下のトンネルが見える。
これが「鎧ガード」
この「鎧ガード」をくぐる。
「鎧ガード」を出て、すぐ左手に長い上り坂が見えてくる。
この坂道をまっすぐに進む。
突き当りを右に曲がるとすぐ右手に「鎧神社」の境内が見えてくる。
手前に幼稚園がある。
「鎧神社」を過ぎたところには、淀橋第四小学校がある。
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■本殿横のイチョウの木に霊験を感じる!
「鎧神社」にたどり着いた。
境内はさほど広くない、小さな神社だ。
ミリオネア夫婦の妻は、鳥居の前で仁王立ちしている。
「どう? 何か、感じる?」
夫が尋ねる。
妻は何も言わずに、スタスタと境内のなかへ入って行った。

境内にはお稲荷さんも祀ってある。
「鎧神社」に祀られている神さまは次の4柱。
・日本武命(ヤマトタケル)
・大己貴命(オオクニヌシノミコト)
・少彦名命(スクナビコナ)
・平将門公(タイラノマサカド)
ヤマトタケルを祀った神社は日本全国いたるところにある。
日本人にとって親しみのある神さまなのだ。
父親に嫌われたヤマトは、「九州征伐に行ってこい!」と命じられる。
そして、見事、西国を制定して都に帰ってみると、
休む暇もなく「今度は東へ行ってこい」と命じられる。
そしてヤマトは東国征伐にやってくる。
この東国征伐の帰国の途中でヤマトは死ぬ。
ヤマトタケルの鎧を隠したとされる場所はいたるところにあるが、
ここにもその伝説がある。
この「鎧神社」の詳しい創建時は不明だが、平安時代から続くかなり古い由緒ある神社だ。
「ヤマトタケルの悲劇って、日本人は大好きだよね」
と夫が話しかけると、
妻は、「鎧神社」の本殿横に屹立しているイチョウの巨木を眺めている。
「どうしたの? 何か感じる?」
夫はもう一度尋ねる。
すると妻がこんなことを言った。
「このイチョウの木がね。いろんな邪気を吸い取ってる」
邪気を吸い取っているということは、「厄除け」の御利益があるということか?
神社の案内によると「商売繁盛」「社運隆盛」の他に、「厄除け」がある。
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■平将門の力は死んでからも強烈に影響している!
「鎧神社」には、平将門の鎧が祀られている。
将門を討った藤原秀郷が、重い病気になり将門の怨念だと恐れた。
それで、将門の鎧をこの神社に祀るとたちまち病気は治ったという。
平将門は、平安時代に関東一円を席巻し、「新皇」と称した男だ。
「京都に天皇がいたのに、自分が新しい天皇だと言ったわけだから、
将門という男はスゴイよね」
と夫が言う。
「もしも、将門が勝ってたら、関東は独立国家として成立したかもしれないわけ?」
手水舎で水をすくい手を洗って妻が言う。
「そうだよ。日本が2つに分かれていたかもね」
夫も手を洗う。
そして、2人は、お参りする。
将門は桓武天皇の子孫の血筋でありながら、
天慶3年(940)に叛乱者として討ち取られ、京都の七条河原で晒し首となった。
日本ではじめて晒し首になったのが将門だといわれている。
将門が晒し首に匹敵するほどの罪悪人だったのか、それとも庶民のヒーローだったのか、
真実はわからない。
将門の首は関東にいた愛人を慕って飛び去り、
今の東京都千代田区大手町一丁目にある首塚の場所に落ちた後、
津波や洪水などの災いをもたらすという伝説を生んで人々から恐れられた。
「将門という男は、死んでからも、強烈に日本人に影響を及ぼしたわけだ」
と夫は本殿を見上げる。
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■将門の力を利用して江戸の街を作った天海
江戸に幕府を開いたのは徳川家康。
そのブレーンとして都市作りを計画したのが天台僧の南光坊天海。
この天海は、明智光秀ではないかと言われている。
天海は、陰陽道の力を使って江戸の街を設計する。
そして、江戸を守る結界に、この将門公の力を借りた。
将門の首塚の地の近隣には神田神社があり、将門公の胴体を祀っていた。
天海は首塚をそのまま残して、神田神社を湯島の地に移した。
将門公の身体の一部や身につけていたものを祀った神社や塚は、
他にも江戸の各所に存在する。
それらはすべて主要街道と「の」の字型の堀の交点に鎮座している。
首塚は奥州道へと繋がる大手門、
胴を祀る神田神社は上州道の神田橋門、
手を祀る鳥越神社は奥州道の浅草橋門、
足を祀る津久土八幡神社は中山道の牛込門、
鎧を祀る鐙神社は甲州道の四谷門、
兜を祀る兜神社は東海道の虎ノ門に置かれた。
これら主要街道と堀の交点には橋が架けられ、
城門と見張所が設置されて「見附」という要所になった。
天海はその出入口に将門公の地霊を祀ることによって、
江戸の町に街道から邪気が入り込むのを防ぐよう狙った。
民衆が奉じる将門の地鎮の信仰と機能的な町づくりを上手く融合させた、
まさに設計の妙手と言える。
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■将門ゆかりの地をつなぐとスゴイ形になる!
天海によって、将門は江戸の守護神になった。
そして、天海は、将門にまつわる7つの神社を建立した。
- 飛んできた将門の首が祀られている「将門塚」
- 将門の兜が埋められたとされる「兜神社」
- 将門の体が神社の名に由来している「神田明神」
- 将門の首が飛び越えたという「鳥越神社」
- 将門を祭神とする「筑土八幡神社」
- 将門の呪いに関係するという「水稲荷神社」
- 将門の鎧が祀られている「鎧神社」
ちなみに、将門には妙見菩薩に救われたという伝説がある。
将門の叔父の平良兼から総攻撃を受けた戦で、将門軍は絶体絶命になった。
そんなとき童子があらわれて「私たちが味方になりましょう」と言った。
さらに、この童子は将門にこんなことを言う。
「私は妙見菩薩です。正しい心を持ったあなたを助けるためにやってきました」
仏の加護があることを知った将門軍は士気が向上したという。
ちなみに、妙見菩薩のシンボルは「北斗七星」
そして、この7つの神社をむすぶと、な、な、な~~んと!
「北斗七星」になるではないか!
北新宿にある「鎧神社」はその一角を占める、スゴイ神社なのだ。
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■まとめ
「邪気を吸い取ってくれる以外に、何かパワーを感じる?」
と夫は妻に尋ねてみた。
「うん。感じるよ!」
「どんなパワー?」
「ヤマトタケルなのか、平将門なのかわからないけど、一番愛されたい人に愛してもらえなかった気持ちかな」
「ヤマトタケルも、平将門も、地元の庶民たちのために戦ったんだよね。そのことを人々はよく知っていた。だから、亡くなったあとも、ずっと人々から愛された」
「そんな愛を感じるよ」
と妻は、帰り際に、もう一度鳥居のところで、本殿に向かって拝礼した。
鎧神社
所在地 東京都新宿区北新宿3-16-18
【鎧神社のお祭り】
・1月1日 歳旦祭
・2月3日 節分祭
・2月2の午 祈年祭・末社例祭(稲荷神社・三峯神社・子の権現)
・9月吉日 例祭(宵宮祭・大祭)
・11月25日 新嘗祭・摂社 天神社例祭
(写真と文/ブッダ猫)
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