西新宿に住むミリオネア夫婦の妻には不思議なパワーがある。
幸運のエネルギーが充満しているところと、
負のエネルギーがいっぱいよどんでいるところと、
すぐにわかるのだ。
そして、ミリオネア夫婦の妻がもっとも幸運のエネルギーを感じる場所が、
実は新宿御苑だった。
では、いったい、なぜ新宿御苑に幸運のエネルギーが充満しているのか?
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■巨木とパワースポットの関係について
ミリオネア夫婦は、夏の午後、新宿御苑を散歩してみた。
「ほら見て、新宿御苑には巨木がいっぱいあるでしょ?」
妻が見事な大木を指さす。
「たしかに、巨木がいっぱいだね。国や都や区指定の天然記念物になっている巨木が、
新宿御苑にはいっぱいあるんだよね。
でも、巨木とパワースポットと、何の関係があるの?」
と夫。
「え? 何にも知らないのね」
「何々? 教えて?」
夫は巨木とパワースポットの関係について知りたくてしょうがなくなる。
「ほら、あそこ!」
と妻は名前も知らない大きな木を指さして「エネルギーを感じない?」という。
「どうだろう?」
と首を横に傾げる夫。
「植物はすべて、氣の流れを受けて生長するのね。
これほど見事に緑が育ってるということは、
素晴らしいエネルギーの流れがここにあるってことよ」
そう言って、妻は、巨木に近づいて、手を当てる。
「何やってるの?」
「あなたも、こうやって、木に手を当ててみて」
妻に言われて、夫も、巨木に右手を当ててみる。
「どう? エネルギーの流れを感じるでしょ? ドクッドクッって、脈打ってるのがわかる?」
「どうだろう?」
「この新宿御苑は、素晴らしいエネルギーが流れてるわね」
妻は、両手を広げて幸運のエネルギーを全身で受け止める。
「でもさぁ。何で、この新宿御苑がそんなにスゴイ、パワースポットなの?」
「知りたい? 実はね。ちゃんとした理由があるのよ」
「え? そうなの? 新宿御苑がパワースポットである理由があるの?」
「もちろん。すべてに理由がある。原因と結果の法則よ」
妻はにやりと笑う。
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■そもそも新宿御苑って誰が作ったの?
「新宿御苑ってさぁ。誰が作ったんだろうね?
もともとここは、江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷があったんでしょ?」
と夫が雑学を披露する。
1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、
宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなった。
これが新宿御苑の前身。
第二次世界大戦後は一般に公開され、
現在は環境省管轄の国民公園となっている。
2006年(平成18年)に、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。
例年4月には内閣総理大臣主催の「桜を見る会」、
11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催される。
大正天皇・昭和天皇の大喪の礼(葬儀)が執り行われた場所でもある。
「何か、由緒正しき公園って感じだね」
と妻が笑う。
「ここで大正天皇・昭和天皇の大喪の礼が執り行われたっていうのも、スゴイよね。
でも、なぜ、そんなに、ここが重要視されたんだろう?
もともとは、内藤家の下屋敷だったわけだから、民間の人の家でしょ。
なのに、何で、ここを皇族の管轄にしたんだろう?
しかも、毎年、総理大臣主催の桜の会が開かれるなんて、スゴイことだよ。
国は、何で、そこまで、この場所を大事にするんだろうね?」
夫は、考えれば考えるほど、謎が深まるのを感じた。
「だから、この新宿御苑が非常に重要な場所だからよ。
キング・オブ・パワースポットなのね。
もっと言えば、新宿全体がかなりのパワースポットなんだから」
「ねえねえ。教えてよ」
と夫は妻にすがる。
「ま、その前に、温室に入ってみようよ」
妻はサッサと温室へ向かった。
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■江戸という町は風水学で建設された!
温室のなかに入ると、そこはジャングルだった。
開設当時は東洋一の温室と言われたらしい。
「スゴイ、スゴイ! 南の国の不思議な植物がいっぱい。
若いカップルたちも興奮してるぞ」
妻のほうが、かなり興奮しているようだ。
新宿御苑内の温室には、カップルを引き寄せるパワーがあるのだろうか。
若いカップルだけでなく、老いたカップルも大勢いた。
「ここはラブパワーを感じるね」
妻が目を閉じて、温室内のパワーを全身で感じている。
「さあ。あなたもやってごらん。目を閉じて、深呼吸して、静かに感じるの」
妻に促されて、夫も目を閉じてエネルギーを感じた。
愛に満ちてくるような気がした。
新宿という地名は、甲州街道の宿場町「内藤新宿」という名前が起源になっている。
江戸幕府を開いた徳川家康が五つの街道を整備して甲州街道が出来た。
その最初の宿場町として新宿が栄えた。
そして実は内藤新宿は江戸城の西の入り口を固める役割もあった。
「江戸という町は、風水に基づいて設計されているって知ってた?」
と妻が質問する。
「もちろん。京都だって、奈良だって、昔から、都を建設するときは、
風水学を活用して作ったんだ。
そうやって、国が栄えることを願ったわけだね」
夫が、またまた雑学を披露する。
江戸を設計したのは家康から三代将軍家光まで仕えた南光坊天海僧正。
天海僧正は、もともと風水的によくなかった江戸を、
平安京にも勝る風水都市にデザインし直した。
まず、江戸城の鬼門に当たる場所に上野寛永寺をおいて、その延長線に日光東照宮を建てた。
そして、裏鬼門には目黒不動。
その他、天海僧正は徹底した鬼門封じをしている。
「新宿は西の守りとして重要な場所だったのはわかるけど、
それは、軍事的なことだよね。
江戸時代は、内藤新宿の宿場はかなり繁栄したみたいだけど、
江戸幕府は、遊女が増えたことで風紀取り締まりを理由に宿場を廃止してる。
再開まで50年間も、新宿の宿場は廃止されたままだったんだ。
つまり、江戸幕府は、新宿をあまり重要視していなかった。
新宿の宿場が廃止されたときは天海僧正はすでに亡くなっていたから、
風水学上の重要地点であることを幕府の誰も気付かなかったんだね」
「新宿は風水的に見て、良い氣が流れる場所だから、ほおっておいても栄えるのね。
この場所の重要性に気づいたのは、明治になってから。
明治に、スゴイ政治家がいたのね」
「え? それは誰?」
夫が妻に尋ねる。
そんなこと初めて聞いた。
風水に造詣が深い政治家が明治時代にいたというのか?
それは、いったい誰だ?
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■明治になって東京は風水で再開発した!
その政治家とは、後藤新平。
伯爵で台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、
東京市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、のちのNHKの初代総裁になったという人物。
後藤新平は、風水に造詣が深く、鉄道の整備にも風水を取り入れて、東京を守らせたと言われている。
後藤新平は、関東大震災の後、帝都復興院総裁として、震災復興計画を立案した。
つまり風水で東京に災害が二度と来ないようにデザインしたというのだ。
山手線の路線は円形に作られている。
そしてこれに中央線を足すと、陰陽を表す太極図になる。
この太極図の白い部分は陽、黒い部分は陰を表す。
そしてこの魚眼と呼ばれる部分が陰の中の陽、陽の中の陰を表す。
つまり東京は風水的にバランスを取って、震災のような魔物が来ないようにしてあるのだ。
そして、ここがポイント。
魚眼の丸は皇居、もう一方の丸は新宿御苑になっている。
つまり西の守りの部分が新宿なのだ。
皇居が厳かで格式高い場所。公務や政治の中心。
それに対して新宿は、歌舞伎町を中心とした繁華街。遊びの場所。
皇居と新宿は、対照的でまさに陰陽になっている。
「つまり新宿は、皇居と並んで、都内最大のスピリチュアルスポットってわけ」
妻が自慢げに言う。
「なるほど!」
と夫は、新宿のパワーの凄さを知って鳥肌が立つ。
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■まとめ
西新宿は、都庁が移転してから公務や政治の中心になった。
おかげで、新宿は西と東でまったく違う顔を持つ。
だから「新宿は皇居の対になっているわけじゃないじゃないか」という意見もあるだろう。
実は、新宿という街自体が陰陽を表す太極図になっていて、
西と東で陰陽になっているのだ。
そして、魚眼の丸は、
都庁と歌舞伎町になっている。
スピリチュアル的に新宿はスゴイ街なのだ!
- 新宿御苑事務所所在地
東京都新宿区内藤町11番地
(写真と文/ブッダ猫)
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