うれしいじゃないですか。
行けば必ずそこにある、そして、おいしい料理においしい酒、綺麗なネエちゃんはいないけど、疲れを忘れさせてくれて、心を癒してくれる、そんな場所やお店は自分を待ってる気がするから不思議です。
「誰もお前を待ってない!」なんて突っ込まれても思いは揺るぎません。
何を隠そう、私にとって新宿西口の思い出横丁はそんな場所のひとつです。
青春時代の思い出と伴に存在している私の「思い出横丁」。
行ってみると「なんでここが?」と思う人がいても不思議ではない場所。
初めてそこに足を踏み入れた時、私も「?????」なんて感じでした。
「思い出横丁」とは言わず、俗称で「小便横丁」と呼んでいました。
今回は新宿西口の「思い出横丁」の名店「きくや」をご紹介します!
スポンサード リンク
■思い出横丁はこんなところです
では、「思い出横丁」はどんな場所なのか?
新宿の人気スポットと化した思い出横丁の歴史を探ると
戦後、瓦礫の中に埋もれていた新宿西口から始まります。
今に至るまでの歴史は思い出横丁のホームページをご覧になって下さい。
ここは割愛します。
URL:http://www.shinjuku-omoide.com/history/index.html
女性も気楽に出かけ、楽しむ場所、外人も数多く訪れる場所となった「思い出横丁」。
かつては甲州街道から青梅街道までの間に300店舗もあったと言われます。
現在はパレットビル(新宿西口会館)から青梅街道まで。
約30m×約100mのスペースに80店舗ほどが片寄せあうように集合している場所です。
■今もあるきくや、そこは元祖酎ハイボールの店
私が初めて思い出横丁に足を踏み入れたのは70年代のはじめ。
同じ芝居仲間に誘われて出かけたのが最初でした。
仲間と言っても後輩でしたが「人生なんてしゃれだ」とサラッと言う奴で、落語家の口調で話す、物腰の柔らかい酒好きな男でした。
そして入った店が「きくや」だったのです。
今では広く愛されている「チューハイ」。
そのもととなった元祖酎ハイボールの店が「きくや」です。
記憶によればホッピーに焼酎をブレンドしていたような気がする元祖酎ハイボール。
間違っていたらごめんなさい。
口当たりがよく、気が付くと飲みすぎてフラフラなんてことがよくありました。
また当時から「チューハイ!」と言って注文した記憶があります。
「ウーロンハイ」もそこで知りました。
更に「モツの煮込み」「もつ焼き」もおいしかったですね。
そして「鯨カツ」にはビックリ。
「ゲイカツ!?」、なんの事かと思いました。
まだ牛肉より鯨肉の時代でしたが知らぬは私ばかり。
また牛のレバーも後輩はよく注文していたなぁ。
食べログも居酒屋チェーン店もない時代。
酒場に入るには勇気が必要でした。
通が伝える口コミと自ら発見発掘する自主努力、時には騙され、ぼられる覚悟が必要だった(笑)
私は後輩のおかげで思い出横丁の名店と言われる「きくや」と出会いました。
まさに運命の出会いでしたがそんなことはどうでもよかったのです。
当時は、そこで飲んで、話して、また飲んで、ついでに食べて、また飲む。
それが「きくや」だったのです。
・店名 きくや
・住所 〒160-0023 東京都新宿区西新宿1-2-8
・電話 03-3342-5928
・FAX 03-3342-5928
・営業時間
平日 16:00~24:00 ぐらい(ラストオーダー23:30)
日曜 15 :00~23:30 ぐらい(ラストオーダー22:50)
・年中無休
・座席数 50席 (1F20席 2F30席)
名物は元祖酎ハイボール、もつ焼き。モツ煮込み、牛レバー。
他にもメニューは豊富です。
■酒は明日の夢づくり、なぜか時々罪づくり
「きくや」で飲んだ1970年から1972年は次のような時代でした。
時の総理は佐藤栄作。
沖縄返還協定が調印され
成田空港建設阻止の闘争は激しくなり
東京は美濃部都知事で「ごみ戦争宣言」
ヒット曲は藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」
尾崎紀世彦「また逢う日まで」
吉田拓郎「結婚しようよ」
ガロ「学生街の喫茶店」
コマーシャルや世相は「モーレツからビューティフルへ」
仮面ライダー「ヘンシーン」が人気
フィリピンルバング島で横井正一さんが発見され
ポスト佐藤をめぐって三角大福がしのぎを削った時代。
日本全体が確固とした何かを探し始め。
「きくや」で飲みながら仲間と伴に私も何かを探していた気がします。
飲んで、話して、また飲んで、ついでに食べて、また飲む。
夢は膨らみ、膨らみすぎた風船が破裂するように失敗も生まれました。
ある時、終電間際まで、仲間と飲んだとき、日ごろから「かわいい」と思っていた後輩女子を遅くなったので心配だと送っていって「送り狼にヘンシーン!」
「唇を奪う!」と言う暴挙に出た・・・・・・・・・・が見事に未遂。
その事は一気に劇団に噂として広まり後輩に白い眼で見られました。
おかげで先輩の権威は地に落ちたものの私はめげていませんでした。
その子はとても頭脳明晰でハッキリと物言う女子。
読書家でエネルギッシュ、まぶしいくらい輝いていました。
好きでした、まゆみちゃん・・・今ならセクハラですね。(笑)
風の噂にまゆみちゃんは子供を産んで幸せな家庭を築いているらしい・・。

酎ハイはこの店から始まったんです! 元祖酎ハイ 315円
■売れたいより舞台に立ちたい!でも探し物は見つからない
これは当時、みんなで話した共通認識でした。
仲間は全員そうだったと思います。
舞台に立ちたい思いで日々頑張っていました。
舞台に立つことでチャンスをつかむ時代だったのです。
公演があるごとにチケットは手売りしましたが売れません。
自分の芝居を見てくれるような友人も少なくそれなりにつぎ込みましたね。
いわゆる持ち出しで、今でも役者になろうとすれば苦労は同じでしょうか。
アルバイトをしながら生活し公演のためのお金を貯める。
それが理想でしたがお金はたまらず稽古よりもアルバイト。
悪循環続きで、結局5年、数回の舞台に立ち、劇団生活に終止符をうちました。
「売れたいより舞台に立ちたい!」
そう仲間と話した「きくや」で過ごした時間。
「元祖酎ハイボール」を飲んで明日の夢を語り、明日の夢造りをした日々。
飲むほどに「男と女」、不埒なことも考えた日々でもありました。
「人生は洒落」、後輩の言い放ったその言葉に肩の力が抜け、更に元祖酎ハイボールに身を任せた熱き日々。
夢半ばで去った青春のステージ「きくや」
そして1年もたたぬうちに耳に届いた曲がこれです。
♪探し物はなんですか
見つけにくいものですか
カバンの中も 机の中も
探したけれど 見つからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と 踊りませんか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと 思いませんか
Woo woo woo Woo woo woo
Woo woo woo さあ~♪
これは1973年の井上陽水のヒット曲「夢の中へ」。
その後、斉藤由貴や持田香織でカバーされた名曲です。
「きくや」で飲んでいた頃はまだリリースされていませんでした。
でもこの曲をきいた瞬間、探し物が見つからないのに自分が弾けたのです。
おかげ様で今も都会の片隅で私生息しています(笑)

テーブルが年代物のちょースゲー木材でデキてる!
スポンサード リンク
■あなたも思い出横丁で弾けてみませんか
70年代はじめの「思い出横丁」の「思い出」を紹介しました。
西新宿でなくお住まいの街の「思い出横丁」を語る人もいます。
そこが自分のプレイスポットだという人もいるでしょう。
でも西新宿にある思い出横丁はここしかありません。
波に乗ってパイプラインを潜り抜けるサーファーのように
昭和から平成、更に新しい時代の波をも上手に潜り抜けようとする「思い出横丁」。
あなたも一度思い出横丁に足を運んでみませんか?
きっと何かが見つかります。
きっと何かが弾けます。
今回もわが思い出の中に浮かぶ新宿の人気スポットをご紹介しました。

この店自慢の「モツ煮込み」 420円

きくやに来たらこれ食べなきゃいけんでしょ。「鯨カツ」 630円

焼きトンは1本120円~
(文・Tom)
コメント