新宿ピカデリー物語&雑学トリビアでアナタも新宿通になろう

     新宿ピカデリー物語&雑学トリビアを紹介します!

    映画ファンに愛される新宿ピカデリー。新宿を訪れる人なら誰もが一度は行ったことがあるんじゃないでしょうか?

    今回は、新宿ピカデリーにまつわる雑学トリビアをお届けします。おもしろく読めるように、会話調にしてみました。

    新宿好きの叔父さんが孫ほど違う姪っ子と新宿公園をブラブラしながら新宿ピカデリーの話を始めた、という設定です。映画を観るような雰囲気で読んでみてくださいな~

    新宿ピカデリー内

    新宿ピカデリー内

     

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    ■新宿ピカデリーっていつ頃で来たの?

    叔父 新宿ピカデリーの歴史、知っている?
    映美(エミ) どこの映画館?
    叔父 新宿3丁目の駅からすぐのところ。
    映見 あまり映画みないからはっきりわからない。
    叔父 江見がよく買い物をする伊勢丹のところ、伊勢丹会館の隣にある映画館です。
    映見 ああ、あそこね、分かったわ。
    叔父 あまり映画を見ないんだ。映見の名前はご両親が映画をよく見る子に育ってほしいと名付けたんだよ。
    映見 えっ!知らなかった、驚いた!
    叔父 何にも知らないんだね。
    映見 あまり好きな名前じゃなかったのよ。だから聞いたことも確かめたこともなかった。そうと分かればこれからは一生懸命映画を見るようにするわ。だからそのピカデリーの歴史もおしえて。
    叔父 じゃあ教えてあげるか。
    映見 お願いします。
    叔父 立て直す前は新宿松竹会館と言って、「新宿松竹映画劇場」「新宿名画座」「新宿スター座」「新宿松竹文化演芸場」の4館で開業したんだ。昭和33年のことだから58年前の
    こと、建物の老朽化も進むわけだよね。で、2006年の5月の今頃だね、閉館となり再開発されたわけだ。
    映見 新宿ピカデリーって名前、最初はなかったの?
    叔父 いいところに気が付いたね。最初4館だったけど、すぐに改装して、初めて「新宿ピカデリー」の名前が付けられ「新宿松竹」との2スクリーンの営業になったんだね。

     

     

    昔の新宿ピカデリー

    昔の新宿ピカデリー

    ■ピカデリーという名前はどこからきたの?

    映見 ピカデリーという名前の由来は?
    叔父 だんだん鋭くなるね。まあ叔父さんも曖昧だけどロンドンのウェストミンスター地区にピカデリーサーカスという公園があって多くの人に愛される場所のようだからそれにあやかったんじゃないかと思うよ。
    映見 そうだよね、人がたくさん集まらないと映画館も寂しいよね。
    叔父 次の機会にはもっと調べておくね、その代わりもうひとつ教えてあげる、さっき2スクリーンになったと言ったけど、それから25年後に「新宿松竹」を2分割、更にそれから5年後には建物内にあった麻雀屋さんをつぶして4つのスクリーンとなり洋画も邦画もヒット作を上映する映画館というイメージが定着していったわけだね。
    映見 とても勉強になったわ
    叔父 もうひとつとっておきのエピソードを教えちゃう。あなたのお父さんとお母さんは新宿ピカデリーでよくデートしたって。デートのあとは映画の話をしながらいつも食事を楽しんだってさ。
    映見 じゃあ私もたくさん映画を見ないといけないね。
    叔父 それだけじゃないよ。映見もお父さんとお母さんと同じように映画を通じて素敵な人に出会うかもしれないよ。その時に、もし今日話したようなことを彼にあなたが話したらどう?
    映見 彼は私に興味を持つと思う。
    叔父 そういうことだね。もう少し話すと再開発されるまでにピカデリーはピカデリー1、ピカデリー2、ピカデリー3、ピカデリー4と名前させたんだ。
    映見 さっき麻雀屋さんがあったて言ったでしょ、それを改装してスクリーンを増やしたって、そんなに大きい麻雀屋さんだったの?
    叔父 ごめん。叔父さんそっちのほうは興味ないのでまた調べておくよ。とにかく映見がなんとなく理解しているピカデリーのあるビルだけでもすごい歴史があるよね。映見がイメージしている今のピカデリーだってすごいよ。こけら落としが2008年、その5年後の2013年には1000万人が来場したって。だから相変わらずデートをしたり、待ち合わせの目安に利用したり、何より映画ファンがたくさんいるってことだね。それにしてもすごいよね。5年で東京中の人が一回は足を運んだ計算だね。時代が変わっても映画に感動や喜びを感じる人の心は変わらないんだね。
    映見 アッ!そうだ叔父さん、あそこにプラチナシートとプラチナルームがあるんだよね?この間友達が教えてくれた。
    叔父 なにそれ?今度は映見に教えてもらわないといけないね。

     

     

    無法松の一生

    無法松の一生

    ■新宿松竹会館がオープンした昭和33年ってどんな時代?

    新宿松竹会館がオープンした昭和33年はあの長嶋さんがプロ
    野球選手 としてデビュー、4打席4三振をした年です。
    皇太子妃が決まり、フラフープが流行り、「無法松の一生」がベニス国際映画祭でグランプリを受賞した年です。
    有楽町の日劇では第1回のウェスタンカーニバルが行われ、ロカビリー3人男、ミッキーカーチス、平尾昌晃、山下敬二郎。3人ひろしの井上ひろし、水原ひろし、かまやつひろし。

    更に飯田久彦、弘田三枝子、タイガース、カーナビーツ、ゴールデンカップス、テンプターズなどが出演。

    その後一世を風靡するスターが日劇に集まり多くのファンが集まりました。
    また、新宿では歌声喫茶「ともしび」や名曲喫茶の先駆けとなる「風月堂」が新宿の文化発信基地のような場所になりつつあったのです。多くの人にとっては普及し始めた白黒テレビを通じた映像、新聞のニュース、ラジオから流れる歌声や音楽から変わりゆく戦後の日本の変化を感じとる時代でした。

    日本の伝統と外来文化が見境なく並存する時代、若者にとってはなんだかわからないけど魅力的な、大人にとっては苦々しくとも受け入れざるを得ない現実がまぜこぜになったような時代、ですからその時に発散されたパワーとエネルギーは爆発的なものだったのです。

    ここ何年か中国人の「爆買い」が話題となっていますが来日する彼らをみながらいつか通ってきた私達の姿を思い浮かべるのは私だけでしょうか。

    間もなくリオデジャネイロでオリンピックが開かれ、2020年には再び東京オリンピックとなりますが、昭和39年に開かれた東京オリンピックをレバレッジにして、右肩上がりの成長を続けた日本。
    その勢いは昭和40年代に入っても変わらず、新宿ピカデリーもまたその時代の波に乗って、映画ファンのみならず新宿のランドマークの一つとして存在感を増したのです。

     

    映画『タイタニック』

    映画『タイタニック』

     

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    ■平成10年に大ヒットした映画といえば?

    叔父 映見は平成10年生まれだったよね。
    映見 そう、寅年、なんだか嫌だわ。
    叔父 でも映見は寅年というより羊のように優しい感じがするよ。
    映見 ありがとう、うれしい!
    叔父 たまには叔父さんもいいこと言うだろう(笑)今日は新宿ピカデリーを知らないのでビックリしたけど無理ないか。
    映見 そうよ。
    叔父 ところで映見が生まれた年にブームになっていた映画があるけど、ご存じですか?
    映見 急に丁寧な言葉で、叔父さんも意地が悪いわね。知らない。
    叔父 「タイタニック」と言ったら?
    映見 わかった!今年念願のアカデミー主演男優賞を受賞したレオナルド・ディカプリオが主演した映画、アカデミー賞のニュースで紹介されたので覚えている。
    叔父 さすが記憶力がいいね。
    映見 だって、ディカプリオって、カッコいいでしょ。
    叔父 あの映画、叔父さん新宿で見た。
    映見 ピカデリーで?
    叔父 それがはっきりしないけど、新宿だったのは覚えていて、ディカプリオになったような気分でかみさんと食事した記憶がある。
    映見 叔父さんもカッコいいね。
    叔父 まあ、それほどでもないけど映画っていいよね。映見にも映画の良さを知ってもらって映画ファンになって貰いたいな。そうすればお父さんとお母さんともっと話ができるよ。
    映見 そうか。たくさん映画を見るようにします。でも叔父さんの話、映画より昔の話が多いね。
    叔父 そりゃ仕方ないよ。叔父さんは純粋な映画ファンというより新宿で青春を過ごした一人としてピカデリーだけでなくこの街全体に興味がある、だから話がウザイかもしれないね。
    映見 でも面白い。いろんな話が出て来るし、いろんな人がいろんなことを考えながら映画を見るってことが分かったわ。
    叔父 今度叔父さんにプラチナルームのこと教えて、じゃあ、おいしいもの食べに行こう。

    (by tom)

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